のんびりNCロードスター日記

はてなダイアリーから移行してきました。NCロードスターとか、猫とか、写真とか。

ありがとう、花三郎。

昨夜、2009年11月28日(土) 23:00頃、愛猫・花三郎が永眠しました。推定16歳のオスでした。
妻の連れ猫で、私と結婚するずっと以前に、妻の姉に拾われたそうです。雨の中で拾われた産まれたばかりの子猫は、動物病院で「三日ともたない」と宣告されたそうですが、懸命に看病したところスクスクと育ちました。拾われた当初はメスだと思われて、「はな」と名付けられましたが、成長するにつれオスであることが判明。仕方なく男の子らしい「三郎」を付けることにしたんだとか。(笑)
私が花三郎と出会ったのは、今からおよそ10年前。結婚する前の妻が独りで暮らしていた部屋を訪れた時でした。事前に「人間の男の人が苦手(嫌い)」と言われていた花三郎は、猫好きな私を(男嫌いという割には)友好的に受け入れてくれたようでした。第一印象は、「大柄で毛並みも良く、目のクリッとした美猫だな」というものでした。また、(当時実家で飼っていた雌猫・タマと比較するまでもなく)「声がカエルみたい」と思ったりもしました。それに「(面識がなかった私が)おいで」というと近づいてきたり、缶詰1缶を一気食いしたりと、およそ当時の私が思っていた「常識な猫の行動」とは全く異なる一面に驚かされたりもしました。
私と妻が結婚し、新しい部屋に引っ越した時は大変でした。それまで(雨の中で拾われて以降、)部屋から一歩も外へ出たことがなかったので、新しい部屋にビクビクしていました。最初の日は押し入れに入ったきり出てこず、2日目は部屋の壁にピッタリとくっついて警戒したまま歩く始末。3日目にやっと安全を確認できたのか、普通に行動するようになりました。この時に、とても臆病なヤツなんだなと気が付きました。それから1年ほどで現在の住居に引っ越し。今度はやや引っ越し慣れしたのか、1日目で普通に部屋中を歩き回っていました。
それから長い間、私と妻と花三郎は家族として暮らしました。ただ、花三郎にとっては妻こそが絶対の存在であり、私のことは「後からやってきた居候」くらいにしか思っていなかったかもしれません。長い間一緒に暮らしてきたのに、最後まで向かい合って抱っこされるのは嫌がりましたから。まぁ、男同士で向き合って抱っこされるのが嫌だったんだろうと思っていますが。

大きな怪我や病気をすることもなく、元気一杯、我儘放題に暮らしていたと思っていた花三郎に変化が現れたのは、今年の夏でした。明らかに食欲が減退し、少し痩せたように見えたので「もう歳だし夏バテかな?」と思ったのですが、さすがに心配になり動物病院で血液検査。数値は肝機能に多少の障害があることを示していました。以前は5kgほどあった体重も2.6kgにまで落ちていましたが、点滴を受けて体力も回復したようにみえました。肝臓用の療養食を与えてみたものの、口に合わないのか(←猫にとっては結構不味いものらしい)ハンストしてしまったため、似たような効用も持つ腎臓用の療養食を与えたり、一般的な猫缶を混ぜてみたりしたものの以前のような食欲に戻ることはありませんでした。
9月、10月と時々嘔吐を繰り返し、動物病院を受診したところ、肝機能の悪化の他に腎臓も悪くなってきていることが判明。体重も少しづつ落ちてしまい、たびたび点滴のお世話になりました。この頃から、何故かお風呂場に非常に興味を示すようになりました。風呂場の換気扇を回し、誰かが入浴しようとすると一緒に入りたがりました。何年も同じ部屋に暮らしてきて、それまで花三郎が立ち入ることは滅多になかった風呂場。仕方なく浴槽の蓋を半分だけしめて上に乗せてあげると、ユラユラと動く水面を興味深そうに見つめ、顔を突っ込みそうになるのを私たちに止められていました。この急に風呂場に興味を示した理由は今もって謎のままです。
11月になり、食事をほとんど受け付けなくなってしまいました。定期的な点滴で何とか体力を維持している状態でした。ここ数日間は毎日通院して点滴を受けていました。脱水症状が酷く、皮下点滴の入りが悪くなっていました。
そして、その日はやってきました。妻は用事があり実家に出掛けていました。私は留守番で時間もあったので、昼過ぎに入浴。もちろん花三郎も一緒でした。その時は(元気という訳ではありませんが)いたって普通の様子に見えました。その後、花三郎はベッドで寝ていたようですが、15:30頃、ふらりと廊下にやってきました。私は「花三郎?」と声をかけ近づきましたが、座ったままうつむき加減に廊下を見つめたまま動きません。明らかに様子がおかしいと気が付きました。慌てて妻に電話してみるものの繋がりません。花三郎に目をやると、リビングまでフラフラと歩いたようですが、パタリと横に倒れてしまっていました。急遽、いきつけの動物病院に連れて行きました。とはいえ、点滴と注射くらいしか処置することができません。しかも妻が同席せずに点滴を受けるのは初めてだったせいもあってか、途中から点滴を拒否するように、押さえていた私の手を振り払おうとするのです。留守電を聞いて飛んできた妻に抱かれ、何とか点滴を済ませました。
自宅に連れ帰る際には、既にグッタリしていました。獣医さんの「体温も下がっているようなので、温かくしてあげてください」という言葉もあり、暖かなリビングに花三郎のベッドを移しました。しかし、その場所が落ち着かないのか、もう歩くどころか立ち上がることさえ困難なのに、いつもの自分の寝床である出窓のスペースに行きたがるのです。この時は、もう私たちも最期を覚悟していました。できれば手の中で看取ってやりたいと思っていました。ですが、花三郎は最期をみせたくないのか、まだ元気になって戻ってくるつもりなのか、その場所を目指したのです。私たちはベッドを元の出窓へ移し、花三郎を寝かしてやりました。呼吸も浅く、苦しいのだと思います。もう声を出そうにも出ない様子でした。私たちに何か伝えたいことがあったのでしょうか?
この日は徹夜で看病しようと思っていましたが、これまでの看病と今日のバタバタで疲れてしまった妻が少しの間仮眠をとり、私はネットで調べ物をしていました。花三郎がいつも目にしていた光景だと思います。そろそろ妻を起こそうか…と思った時、ちょうど妻が目を覚ましました。そして花三郎のところへ行ってみると、静かに息を引き取っていました。

妻の目から涙があふれ出します。私も涙を止めることができません。花三郎は私たちと一緒に暮らせて幸せだっただろうか? もっと早く異常に気付いてあげられなかっただろうか? 嫌がる点滴を無理に受けさせない方が良かったんじゃないだろうか? もっと好きなものを一杯食べさせてあげれば良かった。もっと優しく可愛がってあげれば良かった。もっと一杯写真も撮ってあげれば良かった。…後悔の念が頭をよぎります。

2002年9月。クリクリの目がカワイイ!
 

2002年10月。変な顔。(^p^)
 

2005年8月。私に抱っこされる花三郎。嫌なのか?(^^;
 

2006年4月。「どっか行くのか?連れてけよー!」といった感じで見上げてる。
 

2007年1月。全身で床暖房を満喫中。。。
 

昨夜は妻と二人、PCに入っている撮り貯めた写真を見返して、花三郎との思い出を語り合いました。深夜にベッドに入ってもなかなか寝付けず、繰り返し涙を流しました。
今朝はお世話になった動物病院の先生に御挨拶に伺い、ペット霊園に行き、火葬にしてもらいました。昨夜流しつくしたと思った涙は、今日も止めどなく溢れてきます。

花三郎はいつも私たち夫婦の話題の中心であり、私たちを元気づけ、癒し、楽しい気持ちにさせてくれました。本当にありがとう、花三郎。最期は苦しい思いをさせてしまってゴメンね。でも、よく頑張ってくれたね。これからもずっと忘れないよ。さよならは言わない。いつかきっと会えるから、その時はまた一緒に遊んだり、床でゴロゴロしよう。

2005年5月。窓辺でうたたね。
 

最後にもう一度。ありがとう、花三郎!

(※コメント不要でお願いします。)