のんびりNCロードスター日記

はてなダイアリーから移行してきました。NCロードスターとか、猫とか、写真とか。

帰宅難民の帰還

東北地方太平洋沖地震
勤務先である東京で震度5強に遭遇しました。これまでに経験したことのない大きな揺れ。職場では、壁に罅が入ったり壁の表面が一部剥がれ落ちたりしたものの、大きな被害は無し。キャビネットとかちゃんと転倒防止策が施されていて助かりました
みんな騒然とした中、窓の外に目をやると隣のビルが2〜3mくらいの振幅で横揺れしているのが見えました。一発目の大きな揺れが収まった時点で、余震が頻繁にある中、一旦屋外へ避難。当然エレベータは動かず階段で1Fまで降りるのですが、一斉に人が動いたので階段室は大混乱でした。そもそも建物自体が古い設計のためか、収容人数の割に避難ルート確保について考慮が甘いように思えます。少なくとも(火災発生なども考慮した)優先順位をつけたフロア毎の避難誘導を考えた方が良さそうですね。
 
ビルから出たものの、広域避難場所が何処だか分からない。ビルを出て横断歩道を渡った辺りに待機していたのだけど、偶然にもそこが広域避難場所だったことを後から知りました。
当然ながら携帯電話はまったく繋がらないし、災害時でも比較的繋がり易いはずのメールも駄目。3Gネット接続もNG。家族や知人の安否が気にかかりますが、発信規制中であることは皆心得ているので、無理に電話しようとする人は見かけませんでした。
ここで情報を得るのに強みを発揮したのがワンセグ放送でした。(私のGALAXY Sには付いていませんが)多くの方のケータイがワンセグ視聴に対応しているためTVで情報を入手。宮城県震度7であったことを知り、ふたたび騒然となりました。
 
ビルの安全確認が終わった?らしく、すごすごと仕事に戻りましたが、あまり落ち着きません。定時を迎える前に帰宅許可が出たものの、交通機関の混乱が予想されたために皆、まずネット等で情報収集。鉄道は全く動いていないので、乗り合いタクシーで帰ろうとする人が大勢いました。
後で部下から聞いた話では、タクシーを捕まえるのに一苦労。道路は渋滞で動かず。結局途中で動き出した電車に乗り換え、迂回経路を乗り継いで自宅に着いたのは出発から6時間後だったそうです。
 
携帯電話は一向に繋がる気配がなく、メール送受信すらままならない状態が続きますが、職場のIP電話から自宅のNTT固定電話に繋がり、妻の無事を確認できました。
私は普段利用しているJR、あるいは京浜急行が動き出したら帰宅しようと思っていましたが、一向に動く気配がないので職場に残っている皆さんと夕食を摂りました。温かい食事をとれることに感謝。なお、近所のコンビニは早々にほとんどの食糧が売り切れていました。
結局、JR、京急どちらも3月11日は運転しないことが明らかになった時点で、会社泊を決意。家に妻を一人残しておくのは不安ですが仕方ありません。
そうこうしているうちに、職場では非常備蓄食糧(缶入りパン)が配布されました。(これは翌日の朝食になりました。) また、暫くすると非常時用の毛布も配布されました。これは有難かった〜。
職場で落ち着いて仕事できる気分でもなく、皆ネットで被災情報や交通機関の運行情報を収集して過ごしていました。
 
地下鉄や一部私鉄は割と早期に運転再開し終夜運転を行ってくれたので、明け方までに頃あいを見て帰宅した人も居ました。京急は始発から運転開始したものの、JRは予定の7:00amを過ぎてもなかなかまともに動かず。むしろ渋谷駅などは再開予定時刻に人が押し掛けて混乱してしまい、順調だった東京メトロの運行にも支障を与えてしまったようです。
こういった混乱も予想の範疇だったので、私を含め数人は職場でじっと我慢。JRが確実に運転を再開したことが分かった9:30近くになって職場を出発しました。
東京メトロは大きな混乱はないように見えました。JR新橋駅も混乱は少ないようでしたが、いかんせん電車が来ない。列車間隔が詰まっているとかで、駅に長時間停車していました。私は混乱状態の品川駅で京急に乗り換えて、昼前になんとか帰宅。結局帰宅までに2時間半(普段の1時間増し)ほどかかりました。
帰宅後にTVを見たところ、その後もJR京浜東北線は運転見合わせになったりしたようですね。これも予想どおりでしたが。
  
多くの犠牲者が出てしまった大地震。御冥福をお祈りします。
また、被災地の皆さんは不安に過ごされていることと思います。1日も早い復興を願ってやみません。
# こんな風にブログを書いている場合ではない気がしてきました。。。